人生が変わるきっかけは、色々あると思います。私は12年前のあり得ないほどの酷い体調不良がきっかけで、これまでの物理化学者のキャリアを手放しピラティスを選びました。
そして、一年前の今頃、多少なりとも子供の命を案ずる経験をしました。それが、小学生の単身留学です。今の時代、留学など珍しくありません。ですが、ここ数年来まで全く海外に縁がなく、英語が難しい私にとっては、親としてもチャレンジでした。また、小学生の単身留学など情報がなく、試行錯誤の連続でした。
忘れもしない一年前。現地教育委員会でのインターナショナル•スチューデント向けの説明会。約100人中、たった一人の日本人が私でした。できないはずの英語なのに、全て聞きとれ理解できたのには、人間の知られざる、いざと言う時の能力を感じました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、海外にうとかった私にとっては、本能的に無意識に、子供の命の心配を、今日まで無意識で24時間し続けていました。
この期間、ほとんどの家事を放棄して仕事に打ち込んできました。ですが、この無意識の心配のせいか、半年ほどかけて地味な体調不良にはまっていき、正直朝起きることさえ辛い時期もありました。
この身体からの声は、次第に「人生において大切なことは?」という考えに自然に流れていきました。この一年は、再度、大切なものに気がつくための大事な時間になりました。
この期間を通して、自己から発展し、親として貴重な気づきを得ました。
さらに、仕事への意識は全くもって大きく変わりました。それは、、、
「I can」
から
「We can」
に変わり、
「I have 」
から
「We have」
に、
大革新しました‼︎
私が何かを得たり出来るのではなく、
社員全員がそうであり、
関係者全員がそうあるよう、
価値や目標が劇的に変わりました。
また、この米国視察旅行中は
分厚い本を読みながら
たくさんのワークに取り組んできました、
ピラティスの真髄を
世界に残すことへの決意。
だから、
「I 」と言う主語から「We」に革新したのは、必然かもしれません。ひとたびそうなると、自己への傲慢さなどは、もはや無意味です。
今回、人生かけてきた「ピラティス」という枠を、あえて飛び越えてピラティスを見ることに、コミットメントしてきました。
ピラティスについて、米国•カナダのあらゆる場所で質問をし、その認識を肌で実感してきました。
また、理想を実現している企業や施設の視察を重ね、歴史も調べ、私がこれからやりたいことを具体的なイメージとして落とし込みができました。
●ピラティスを周知するために、業界全体としてできること。
●ピラティスの本質と価値を、創始者からの直系として継承するために、私がやるべきこと。
が、確固たるものになりました。来月早々の弊社経営方針会にてまずは核心についてスタッフと共有し、さらにはこの膨大に得たことを整理して、半年かけて皆で共有していきます。
人生は変えられるし、そのきっかけをつくる一人にも、誰もがなれます。
そして、本当は人生を変えているのではありません。「Return to Life ••• 」本来の自分に戻っているのではないでしょうか。
ジョセフ•ピラティスの言葉の意味を、いまいちど実感しています。。
旅先でお世話になった皆さま、不在中協力して下さった皆さま、ありがとうございました。