5月5日。実家の目の前。
ほとんどうちの庭と繋がっています。
御殿場の避暑地でこどもの日を過ごしました。
こどもの日はおもちゃを買うのではなく、
おもちゃが欲しいなら自ら作る!
そうやって育って来た私。
実家に到着すると早々、息子は父に連れられて、
竹林の中に竹を採取に行きました。
良い竹を見つけたら、今度はせっせと弓矢作り。
さすが男の子。
私はこういうのが苦痛だったのですが(笑)、
息子は大喜びで、ずっと外から笑い声が聞こえてきました。
小学校6年生の時に書いた生い立ちの記です。
・生まれた時の様子
・名前の由来
・姉との様子
などからはじまり、赤ちゃんから小学校卒業まで、
想像以上に細かくあれこれと書いてありました。
赤ちゃんの時は、よく寝る子で夜泣きもなくその点は楽だったものの、ひどいアレルギーとすぐに体調を壊し、病院通いで母が苦労したことが書いてあった。
そして、やはり転勤族たる転校の様子もたくさん書いてある。
幼稚園での転園は、大人たちがたくさん手伝いに来てくれて、お菓子をたくさん持たせてくれて、見えなくなるまで手を振ってくれたこと、フェリー乗り場にも沢山の人が来てくれて、テープがきれて、さらに見えなくなるまで外のデッキにいたことが書いてあった。
小学校はじめての転校では、『今までの転校ではなかった嬉しいことがあった』とあり、クラス全員から手作りプレゼントをもらい、その中にあった手作りクッキーを食べながら新天地に向かったと。しかも、私のためだけに、2時間分の授業を送別会にしてくれている。
さらに高学年での転校では、荷造りだけではなく荷物も運べるようになり、姉と一緒に荷運びも手伝ったとあった。さらに、転居先では荷解きに時間がかかるので、引っ越し前に3日で必死に宿題を終わらせたとありました。要領を得た物だ(笑)
また、先生に『兎の眼』と言う本をもらったとある。
それ以来何度も読んだ本のうちの一つに。
今になってもどうしてこんなにボロボロになるまで持っていたのか初めて気がつき、思わずジーンと胸に・・・・
転校経歴は、切なくも大事な歴史だ。
最後の『20年後の自分へ』のページを開くのはドキドキした。
将来はピアノの先生になりたい、夢がかなっていて欲しいと綴られていた。ピアノは得意だっただけではなくて、ピアスが弾けたお陰で転校先でも沢山の友達ができた。私にとっては大切な物だった。
そして、
「人生には、●楽しいくらし ●贅沢なくらし ●苦しいくらし
などいろいろある。
私は、楽しいくらしをしていたい。
贅沢ではなくても楽しく過ごせていたら幸せだから。」
と書いてありました。
子供の頃に純粋に思った事。
今は、『ピ』からはじまる先生になり、たのしく暮らしている。
今に感謝し、ただ、今を生きて行こうと、ほっこり思いました。
そして、夜は気持ちよく月光浴。
スパームーンに照らされながら、
いつもの狩野川を、気持ちよく走りました♪
よい一日でした♪
JUNKO