3回の危篤。親戚が集まり、
息をのんで看病する日々がはじまったのは、
石垣島から帰って来た日。
夜中にかかってきた病院からの電話がスタートだった。
どんな状況でも、医師には「見込みがない」と言われ、
それでも、「もう一度話したい」と言う、みんなの強い願い。
今日、義母が目を覚ましました。
奇跡を目の前に、感無量です。
まだはっきりとした意識ではないけど、
今日一日の中でも、確実に状態が良くなっている。
いろんなミラクルを感じて来たけど、
こんなにスゴイと思い、感動した日はない。
昨日、私は義父を訪れ、はじめて二人で、1時間も話をした。
もっともっと看病したい想いと、仕事の状況。
完全休みをとるのも、1週間が限界だった。
これから続く出張について。
申し訳ない気持ちでいっぱいの私は、
勘当される覚悟で、義父に打ち明けた。
しばらくの沈黙の後。義父からは「行ってきな」と。
そして、この沼津で一代で歴史を作り上げた大先輩として、
心強い言葉を頂き、涙が止まらなかった。
義父の願いは、「もう一度、義母と話したい」。
そして、もう一度、家に連れて帰って来てあげたい。
それは、家族や親戚みんなの願いでもあった。
その為に、役に立てる事は何でもしたい。
可能な限り、いや、すでにキャパオーバーでも、
全ての時間で私も毎日病院に行く中、
今日は目が開いたとの知らせを受け、
東京から帰ってくる駅のホームもずっとダッシュで走り続けた。
看病生活がはじまってから、感じること、考える事、気づく事の連続だった。
生きる事、幸せなこと。ころんなことが、頭をよぎる日々。
普段会えない、名前すら覚えていなかった親戚の方との、貴重な時間。
身内での協力。
義母に感謝し、そして、義母と、みんなの願いが叶いますように。
JUNKO