ピラティスで繋がる

数年前のピラティス認定コースで、
アルゼンチン出身の男性と一緒になった。

彼は、レベル1をスペイン在住中にスペインで取得、
その後日本に来ることになり、
日本では全くのゼロから自力でピラティス関係の仕事を手に入れ、
スキルアップのためにレベル2を受けに来ていた。

すごくまじめで、コース中は英語の教科書を取り寄せ、
日本語の講義を一生懸命聴き、わからないことは
休み時間に、参加者に聴いたりして理解を深めていた。

英語も日本語も母国語ではない彼にとって、
試験はとても大変なことだったはずだけど、
なんと筆記試験はトップの成績だった。

ちなみに、その時の試験で一発合格したのは、
彼と私の二人だけで、六本木のスタジオで再会した時に、
カタコトの日本語と英語で、二人でガッツポーズを交わした。

それからしばらくして、私は大阪で開催された、
ある二日間のワークショップに参加した。

知り合いなどいるはずもないその会場で、また彼に再会した。

この日、またまた私たちは、
カタコトの彼の日本語と、カタコトの私の英語で
唯一の「共通語」であるピラティスについていろんな話をした。

彼は、ピラティスはとても良いメソッドだからもっと勉強したいこと、
さらに次は、レベル3を受けてスキルアップを続けたいこと、
そして、語学の問題もあり、海外での受講も考えているなどと言っていた。
スペインでのピラティスの様子なども教えてくれて、とてもワクワクした。

日本での仕事は、英語を話せる特性を生かして、
外国人がたくさん住んでいる地域に「英語でピラティスが習えます」と
たくさんの張り紙をして回ったとも教えてくれた。
いつも忙しい彼は、日本での生活をハンディとはとらえずに、
こうやって仕事を得たのだと知り、驚愕し感動した。

そして、語学を学びたいと思っていた私は、
英語をどのようにして習得したのかを彼に教えてもらった。

とにかく、ピラティスに対してストレートに前向きで、
私にとってはすごく貴重で楽しい時間だった。

そんな彼に、海外から仕事のオファーが来て、
今年日本を去ってしまった。もちろん栄転だから、仲間としても嬉しい。
いつかまた会えたらいいなって、ぼんやりと思っていた。

そして、4日前からはじまった、私のスタジオでのピラティス指導者養成コースに、
なんと、そんな彼から5年間も習ったという女性が参加した。

私はそのことを知った時から、彼女に会えることをすごく楽しみにしていた。

コースがはじまると、彼女から、彼についてたくさんの話を毎日聴くことができた。

そして、たくさんの話の中から、コース中やワークショップ中と同じように、
彼が、ピラティスに対して誠実で、まじめに指導し続けてきた様子がうかがえた。

何よりも、彼女は彼からピラティスを習ったことによる身体の変化に
すごく喜んでいて、私も嬉しい気持ちでいっぱいになった。

そして今日、第1セッション最終日の、最後の最後の一コマ。
彼女がみんなの前で発表した、
「このコースに参加してみて、教科書を読んでみて、今まで本当に彼が、
こんなにもたくさんの素晴らしいことを、しっかり教えてくれていたんだと、
改めて本当によくわかった。」

と言う言葉に、私は、自分でもわけもわからず、はじめてスタジオで涙してしまった。

都内から、沼津と言う知らない土地でのチャレンジ。
時間もお金もかかり、課題も多いこのコースへの参加は
それなりの決意が必要だし、これからの課題や練習環境への不安などもあることは間違いない。
しかし、彼の指導が、改めて彼女の大きな自信となっていた。

彼が、ピラティスに対して前向きに取り組んできたこと。
それを、お客様に伝え続けてきたこと。
そして、彼と彼女が作ってきたこの5年間。
彼女の変化。

そして、彼が日本を去りレッスンが受けられなくなった先の彼女の決断は、
ピラティスができなくなると言うことではなく、
「彼が通ってきた道で、自分も勉強して身につける」ことだった。

人にはいろんなドラマがある。

たくさんのコースやワークショップでたくさんの人に出会い、
いろんなドラマに出会い、
その中で、私自身も成長してきたと、改めて思った瞬間だった。

彼が日本からいなっくなった彼女は今、
私のスタジオに来て、一緒にピラティスをシェアする仲となった。

まさに、ピラティスで、繋がった瞬間。

これからも、いろんなドラマを作り、ドラマに出会い楽しみながら
ピラティスの旅を続けて行こう。

JUNKO

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