9月にスタジオレッスンに復帰して、
お客様が「お帰りなさい」「おめでとうございます」と
想像以上に声をかけて下さり、
ならば、しっかりと報告しなくてはいけないと思い、
レッスンの時に夏の報告をしました。
初日は、途中で泣きそうになりました。
いや、目がウルウル。
みなさんのお陰で渡米もでき、学んだ事を生かせるのですが、
優しい瞳で見守られ、感無量でした。
スタジオでレッスンができた瞬間、本当に
「帰ってきたー!」と思えました。
そして、フロリダではいろんな気づきがあり、それを素直にお話をさせて頂きました。
今回、私は第二世代ピラティスティーチャーとして認定されました。
その日は、当然「まさかー!!!」と言う想いで驚きと喜びと、
意味が分からない感じが入り乱れた感覚だったのですが、
その気づきは翌日の朝、訪れました。
翌日の朝起きてみると、
「私は私でしかなかった」のです。
言葉の通じない環境でチャレンジを続け、
同時に仕事とPTAと主婦をこなし、
もはや爪もお肌もボロボロ。伸びた髪は枝毛だらけ。
一人で、「あれ、私って、何もかわっていない!」
と、笑ってしまいました。
結局、私がこの認定書をもらったものの、
このあとなまけてしまったら、何もないということ。
認定は得たけれど、何か偉い人になったわけではなく、
私は私でしかないこと。
これから継続してピラティスメソッドと向き合って行かなければ、
全く無意味であること。
認定書は、たったその瞬間の紙切れでしかないこと。
この紙切れで、私自信のレベルははかれないこと。
結局は、認定がある、ないに関わらず、
私自身がどうするかで、全てが変わってしまうこと。
この後の1年間、大袈裟に言うと、
もし私が何もピラティスに取組まなければ、
全く何の意味もなさないこと。
さぞかし、第二世代の認定は嬉しい事だと思っていたけど、
結局、きっかけを得ただけで、何も変わっていないこと。
自分自身が、どうありつづけるか以外、何もない事。
言葉にはならない程、すごい衝撃と気づきが
ドーンと私の身体に降り掛かって来ました。
この感覚は、文章ではとても表現できませんが、
将来の自分のためにブログに綴っておきたいと思います。
この、驚くような感覚と気づきから、
翌日からのエデュケータトレーニングでは、
これまでの認定取得以上に、さらに限界に挑戦する勢いで取組みました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
「とにかく、生きて帰れたらそれで良い」と思った程でした。
そうして続いた8月の日々。
今年心臓の手術を受け、さらに帰国4日前に胃痛で
深夜の救急に運ばれたロリータ先生の旦那様が、
朝6時前という時間にもかかわらず、帰国日の朝、
ホテルに空港への送迎のために迎えに来てくれた理由を伝えてくれました。
私の語学力では
「ありがとう」
と、
「とても嬉しい」
しか言えなかったのですが、
感無量となりました。
エルダーであるロリータ先生が、毎日自宅で
どのように私の事を話していたのかを伝えるために来た、
と行って、ご自宅での会話を教えて下さいました。
この件については、さらに自分のスキルが向上してから
いつかお伝えできたらと思うのですが、
天につながるような意志を持ち帰って来ることとなりました。
長くなりましたが、多くの経験を積ませて頂き、
スタジオで「通常レッスン」に入った時、
はじめて「帰って来たー!」と実感し、
ほっとしたのと、いつもの環境にいれることの喜びがわき、
感無量となりました。
私自身は、まだまだ、修行と勉強の日々です。
もっともっと、課題をクリアーしたいし、
将来の在り方についても明確に目標もできたし、
自分のレベルがどの程度なのかも私自身が身にしみて感じているし、
それに向かって精進するばかりです。
そして、何かをやればやるほど家族の存在のありがたさを感じ、
毎日自宅にいる全ての時間が、幸せの連続です。
そして!
団体を超え、ジョー・ピラティスとクララ・ピラティス、
そしてそれに関わって来た方の真髄と想いを学び、伝えて行けるよう
精進するのみです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
JUNKO